祖師・高僧の部

善導大師

善導ははじめ明勝法師に投じて出家し、まず法華、維摩を誦して具足戒を受けたが、教門の多種多様であるのは、機によるからであることを感じ、妙開律師とともに大蔵を調べた結果、観無量寿経を手にし、解脱の道を求めた。次いで道綽法師が晋陽で浄土の法門を説いていることを聞き、難路を辿って晋陽に往き、禅師に謁して観無量寿経をさずけられ、定に入って七日ついに往生の相を感得するに至り、次いで堂に入っては合掌胡跪して一念に念仏し、出でては人のために浄土の法を説き、道俗を教化し、行道礼仏すること三十余年、その間に阿弥陀経を写すこと十万余巻、浄土変をえがくこと三百余舗、あるいは堂塔伽藍を修繕し、つねに衣鉢を変えず乞食して、得るところの浄財はことごとく人に施して楽しみとした。善導の感化を受け、念仏三昧によって往生をとぐるものその数を知らなかった。その徳はあまねく道俗におよびその名声は千里に響いた。師は寿六十九歳をもって寂された。善導が在世の時念仏をとなえると、声々口から光を出す瑞があったので、高宗は師のために額を賜い、光明寺と名づけたところから、後世善導を称して光明寺の和尚と称した。