弊社は楽天市場、Yahooショッピング
からもご購入いただけます。
<<こちらから <<こちらから

トップページへ  カートの中身  ご利用案内  会社概要  お問い合せ 

金陵刻經處流通書目

新増流通書目

華嚴部

方等部

浄土部

法相部

般若部

法華部

涅槃部

阿含部

秘密部

大乘律

聲聞乘律

大乘論

聲聞乘論

西土撰集

禪宗

天台宗

傅記

簒集

宏護

旁通

導俗

専集

懺儀

藏經

膠印本

版木印佛書

創始者(楊仁山)について
金陵刻経処の創始者は清代末期の著名な仏教学者楊仁山(1837〜1911)居士です。居士は安徽省の出身で、幼少から聡明といわれました。14歳ころには漢詩や散文を自由に作成し、27歳で仏教書「大乗起信論」を習得、以来深く仏教研鑽に励みました。19世紀半ばに家族と共に南京へ転居し、この地を拠点に仏典収集に努めるようになります。
しかし、時局は混乱し、戦乱のさなか貴重な仏教経典の多くが消失、仏教書自体が流通しない状態にありました。このため、居士は「王梅淑」などへ援助を募り、1866年「金陵刻経処」は創設されました。楊仁山の刻経処は、一つに仏教経典の刻経処であり、二つに仏教界への研究場所の提供でありました。刻印と教学を一体に考え、僧学堂は時に祇園精舎となり。 時に仏教研究所となったのです。
楊仁山自身も自ら教鞭をとり、当時、仏教界、思想界に大きな影響を与えました。清代末期の学者「梁啓超」は、この場所を思想界の一支流になると称し、現に門下生として「欧陽竟無」など著名な仏教学者を生んでいます。清代光緒年間初頭(1875〜1908)、楊仁山居士は外務関係の仕事に従事しイギリス、フランスへ行くことになります。そこで、彼はすでに中国から流失した古代の仏教原書を発見することになり、感慨深く、次代に残る刻印経書作成に力を込める決心をするのでした。この間、日本の仏教家「南條文雄」氏と知り合い、共に仏教学の研鑽に励むようになります。
南条氏のおかげで日本へ流失した巻280余部の旧刻経が戻り、中には中国から1000年以上流失していた、隋代(581〜618)や唐代(618〜907)も含まれていました。一方、楊仁山居士も日本蔵経書院の「続蔵経」へ欠如した100余の典籍を提供し日中仏教文化交流に寄与してきました。
Copyright(C)2005-2006 KURITA TRADING CO.,LTD All rights reserved.